【大里東小学校の歴史】 |
|
終戦の年に入学 −昭和20年− |
|
|
何故か、1〜3年生の思い出となる写真が無い。学級写真など撮る余裕がなかったのかもしれない。特に1年生の4月から8月までは戦争下であり、空襲警報のサイレンが地域に流れると、全生徒は、先生の指示に従ってすぐに下校したものだ。時には下校が遅れて、途中でカンサイ機(アメリカの攻撃機)に襲われ、機関銃の弾あらしを受け、田んぼにあるわら積み山にかくれた恐ろしい思い出もある。機中の操縦士の姿がはっきり見えるほど低空飛行で狙撃されたことは忘れることができない。 |
先生といえば、みんな厳しく、特に男の先生の中には国防色の軍服姿もあり、背筋はピンと真っ直ぐで、悪でもしようものなら徹底的にしかられたものだ。反面、女の先生は、母親のように優しく、細かいところまでよく面倒を見てもらえた。代用教員だった4年4組の大塚先生が結婚?で辞められるときは、クラス全員が「辞めないで・・」と泣いて頼んだことも忘れられない思い出である。 |
|